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医者の本音

最後の自伝と近況です。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。

6.開業した理由と、これから・・・・
  国立病院の精神科病棟医で勤務して、3年が経ちました。

 先にも書いたように最初は他科の先生の精神科に対する偏見や、病棟スタッフの精神医療に対する意識の相違などで非常に苦労しました。 

 しかしながら、身体的に非常に重症な患者さんでも精神科に転科させ、こちらで身体管理を行ったり、他科の患者さんの治療方針についても、こちらから積極的に意見の交換をするなどで、徐々に偏見は無くなりました。
 
 患者さんの診察を他科にお願いする時にも、大学病院の時のように、依頼したら後は全部治療方針を任せるのでなく、依頼する前に、ある程度身体的な診断の目星をつけておき、最終的に助言だけ貰うようにしました。急変時にもある程度こちらで対応できるように準備をし、どのタイミングで他科の医師を呼ぶのかというラインもしっかりと引くようにしました。
 
 そのおかげで、病棟で身体的に急変するケースも減り、患者さんの入院日数も劇的に短縮することが出来たんです。いかに連携がうまくいっておらず、それが治療の遅れにつながっていたのかが解りました。
 
 先にも書きましたが、内科医が精神科疾患に偏見を持つのも、精神科医が他科の医師に偏見を持つのも、お互いの専門領域が解らないからであり、それを知ろうともしないからなんですよね。

 今の医療は専門性を追求するがゆえに、専門家には口を出さないという理念が強いですが、専門的な治療ばかりしていても、患者さんは良くならないんです。
 
 色々な分野の医師がお互いの専門分野まで踏み込み、患者さんのために意見を言い合うことが大事なんですよね。言い換えればスペシャリストの医師を名乗る前に一人のジェネラリストな医師として対等に話をすることが大事なんだと思います。
 
 内科も精神科も両方学んだ、私だから出来ることかもしれませんが、受け持ちの患者さんのことは、専門家である前に、一人の医師としてジェネラルに治療をするという、スタンスは多くの研修医にも厳しく教えました。
 
 大学では精神科しか学んでこなかった彼らも、最初のうちは戸惑っていましたが、研修が終わる頃には色々なことが出来る医師になり、非常に嬉しかったです。最近は研修医制度が変わり、全ての医師は内科、外科などのローテーションが義務付けられたのも非常に良いことだと思います。
 
 
 とにかく総合病院の精神科医としては、非常に恵まれた環境のおかげで非常に有意義に仕事をすることが出来ました。「心も体も診れる医師になる」「精神科に対する偏見を無くす」という今までの目標を達成することが出来たと思います。後は自分の思うスタンスを研修医に伝えていき、少しでも今の精神医療が変わってくれれば良いと思っていました。
 
 
 
 しかしながら、総合病院に勤務して3年目頃から父親が入退院を繰り返すようになったんです。父も医師なのですが、私が医学生の頃にパーキンソン病という神経の病気を発症し、徐々に病状は進行。

 10年前からは手の震えがひどくなり、うまくしゃべることが出来なくなっていました。(マイケル.J.FOXやモハメド・アリと同じ病気です)そのため10年前に現役を引退し、アルバイトで診療所をやりくりし、自宅療養をしていたんですね。
 
 その後、薬の副作用である妄想もひどく認めるようになり、それは母親への嫉妬妄想や暴力行為にもつながるようになりました。

 うまく言葉をしゃべれずに、手を震わせながら、幻覚や妄想に苦しめられている父親の姿は非常に見ていて辛かったです。さらに医師であるゆえ、自分の病気の進行とか予後も全部知っているんですよね。医者が不治の病に倒れるというのは非常に悲惨だと痛感しました。
 
 子供の頃は私のことを徹底的に教育し、女関係で母を泣かせ、妹を非行に走らせた父です。今さら自業自得だとも思ったのですが、実際私を医学部に行かせてくれた訳ですから、そのような父親を放っておくことが出来ず、翌年実家の方に戻ることにしました。

 でも、今まで診ていた患者さんを見捨てることも出来ず、週に一度は神奈川の方で仕事をすることとしました。
 
 実家に帰ることに決めてからは非常に落ち着いていたのを憶えています。今までの自分の経験から「何とかなる」と偉そうに思っていたんですね。ただ両親(特に母親)と妹と距離が近づくのだけが気がかりでした。どういう訳か僕はあの二人が近くにいるだけでイライラするんです。まあそれもACの特徴ですが・・・
 
 いずれ自分は町医者になると決めていたのも理由の一つですし、今まで自分が診てきた患者さんや、お世話になった上司の先生方、指導してきた後輩たちも応援してくれたのが嬉しかったです。
 



 実際開業してみて思ったことは、町医者というのは何でもありだということです。精神疾患は専門ですので全く困らないんですが、普通の風邪以外にも蕁麻疹や腰痛、中には畑仕事で毛虫に触ったとかハチに刺されたとか・・・・、その時はネットで調べて治療してました。

 でも小さな病気でも患者さんは非常に感謝してくれるんですね。近所のお年寄りにしてみれば私が何科なんて気にしておらずただの先生なんです。それが本当に嬉しかった・・・
 
 あと長年の夢であった在宅医療という世界にも飛び込んだんです。歩けない寝たきりの患者さんを診察に行ったり、癌の末期の患者さんを自宅で看取ったり・・・在宅ゆえに検査も出来ず、出来ることと言えば、採血と点滴ぐらいです。

 総合病院ならすぐに検査すれば解ることがここでは身体所見と採血で推測しなければならない。自分がまだまだ未熟だということを思い知らされました。その難しさが在宅医療にはあるんです。

 そして何より思ったのがメンタルの患者さんの多いことです。認知症で一番大変なのが、身体的な問題ではなく周辺症状、要は幻覚や妄想、暴力、徘徊なんです。そういう意味で考えれば重度の認知症は精神科医にしか診れない、精神科こそ在宅に一番必要な科だったんですね。

 実際、経営的には在宅は全く儲からず、(当院は保険診療費以外貰わないんです)ほとんどボランティアですが、患者さんからのニーズは大きいですし、遣り甲斐も大きいですよ。今では本八幡から新浦安まで月に30人くらいの往診をしております。ほとんど市からの依頼ですが・・

 とにかく心も体も診れる開業医で今は非常に充実しています、体力的にこれからいつまで続けられるか解りませんが、歩けるうちはずっとやっていきたいですね・・・
 



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