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患者さんとの思い出話
ほんとに勝手なこと書いてます。 
ここに出てくる患者さんの年齢、性別、経過などは
プライバシー保護のため多少変更しております。

  「夫婦の絆」
 
 
 医療関係の仕事をしていると、時に感動する瞬間というものに出会える事があります。治らないと思われた患者さんが、奇跡的に良くなったり、難しい手術が成功したりなど、医学的な感動もあるのですが、一番感動するのは人と人の絆、親子や夫婦の愛情です。そのような瞬間に立ち会えた時こそ、医師になって良かったとつくづく思います。
 
 
 その患者さんは、50歳代の男性で、非常に濃い眉毛と、口ひげが印象的でした。一見気難しい、昭和のお父さんという感じでしょうか。高学歴なんですけど、若い頃に脱サラをして、自分で塾を開業し、経営と共に自ら塾講師もしていました。外見通りの気難しいですが、非常に真面目で曲がったことが大嫌いな性格だったんです。
 
 子供はおらず、奥さんと二人で生活をしていたのですが、半年くらい前から、彼は非常に怒りっぽくなったんです。奥さんも後に引かない、非常に勝気な性格だったので、日々夫婦喧嘩が耐えない状態となってしまい、結局別居することになったんです。まあ、別居といっても、奥さんは彼が仕事の時に、家事をしに帰ってきて、時々食事の支度も、してあげていたそうなんですけど。
 
 彼の怒りっぽさは日増しにひどくなっていったある日、彼はけいれん発作を起こして総合病院の内科に入院となりました。
 
 その時の脳の検査では、特に異常が無かったのですが、入院したことで易怒性が亢進し、医師や看護師を怒鳴りつけ、検査もさせてくれない状態になったんですね。一般病棟では対応出来ないということで、僕の勤めていた総合病院の精神科に転院となったんです。
 
 転院してからも非常に不機嫌で、僕達にも威圧的な態度でした。外見的にも迫力があり、声も低かったですからね。私の部下の研修医が採血に行くと、「何だ貴様は!何年目だ!」と大きな声で怒鳴り、失敗なんかすると大変でしたよ。
 
 ただ理論的にゆっくり説明をすると、最後には、しぶしぶ、「じゃあ、しょうがない・・」と納得してくれるんですよね。それに色々と入院の世話をしてくれる奥さんには、頭が上がらないみたいで、結局最後は、奥さんに謝っている姿が印象的でした。

 奥さんも旦那さんに対して、決して引けを取らず、言い返すんです。さすがに、この人と長年連れ添っただけはあるなと、素直に感服しましたよ。
 
 とにかく、ゆっくりした口調で何事も理論立てて説明するように他のスタッフに指示し、採血や処置も出来るだけ私が付き添うようにしたんです。怒っていても、基本礼儀正しい方なので、最後には低い声で「ありがとう・・」と言ってくれるんですけどね。
 
 何故、急に怒りっぽくなったのか?精神科的な病気としては認知症の初期症状か、躁うつ病の躁状態を考えていたんですが、仮にその診断が正しいとしても、けいれん発作を起こしたのは、説明がつきませんでした。
 
 
 その答えは入院して2週間後、再度頭部のMRIの検査をして解ったんです。脳の視床という場所の傍に、薄っすらと影が見つかったんです。非常に変な形で、くの字型に折れ曲がったヒトデみたい。形的に絶対に脳梗塞ではない・・・もしかして・・・・。
 
すぐに脳外科の医師に画像を見せたところ、
診断は脳腫瘍でした。
それも髄芽腫という非常に悪性度の高い腫瘍が
疑われたんです。


それで全ての謎が解けました。半年前から感情のコントロールが出来なくなったのも、けいれん発作を起こしたのも、これが原因だったんですね。


 
 場所的に脳の中心部に広がっているので、手術は不可能。抗がん剤を使う化学療法や、放射線療法が選択肢としてはあるのですが、効果が望める可能性は低く、治療を行うのであれば、このまま1〜2ヶ月入院が必要になります。

もし、何もしないのであれば、

余命は持って半年くらい
とのことでした。
 
 奥さんに以上のことを、説明したところ、当たり前ですが・・非常にショックを受けておりました。病気が原因であれば別居するのではなかったと・・
 

 その頃には彼は、「早く退院させろ!」と徐々に興奮している時間が増えていき、中々落ち着いて会話が出来ない状態だったんです。
半身の不全麻痺も出現
していたため、転倒防止のため、
常時ベッドに抑制しなければ、管理できない状態となっていました。

 
 抑制することを本人と家族に説明したんですが、奥さんはそれを拒否。
そしてなんと・・

「このまま本人の希望通りに、すぐに退院させます」
と。
 

 今後は腫瘍の進行に伴い、もっと易怒的になり、
そこに認知症の症状も加わってくると推測されます。
さらに身体的にも、今後半身麻痺から寝たきりに
近い状態にもなるんです。

怒鳴られながらも、着替えやトイレ、入浴も
介助しなければなりません。
そんな状態の介護がどれほど大変か・・・
 

 奥さんにはもう少し鎮静剤を調節させてもらうように、頼んだのですが、奥さんの決心は変わらなかったんです。
 
 精神科では精神的に不安定で、本人が入院を拒否した場合でも、専門医の診察と家族の同意があれば入院できます。(医療保護入院)しかし、どんなに不安定でも、本人と家族が入院を拒否すれば、法的に入院継続出来ないんです。(ちなみに法を犯し、警察が介入するほど不安定な場合は、国家権力で入院させられます。)ですから奥さんが退院と言えば退院になってしまうんですね。
 
奥さんの気持ちとしては、
脳の病気だったのに、厳しい事を言って、
家を出て、長い間放っておいたことが申し訳ない。

もう余命いくばくもなければ、
その分、自分が面倒を看たい。
最期の時まで、二人で良く行った
軽井沢の別荘で静かに暮らしたい
との事でした。
 



 それを聞いて、彼は非常に気難しい性格であっても、良い旦那さんだったんだと解ったんです。あんなに暴言ばかり言っていても・・・・こんなにも奥さんに愛されているんですから・・・・ 髄芽腫は進行も早く、すでに末期癌の状態です。彼のことだけを、第一に考えれば退院という選択肢が一番良いんでしょうね。
 
 
 翌週、彼は退院しました。退院日に彼はスーツ姿にネクタイを締めており、非常に上機嫌でした。僕が病院の出口まで一緒に車椅子を押しながら、奥さんには、何かあれば、いつでも入院させることを約束したんです。
 
 結局、彼は何も知らされず、帰りの車の前で「先生、ありがとう!」と渋い声で言われ、しっかりと握手をされたのを憶えています。
 
 
 それから全く連絡が無かったので、二人が、どうなったのかは解りません。多分あの奥さんなら、喧嘩しながらも、何度も困難を乗り越え、最期まで面倒看たのだと思います。
 
 長年連れ添った夫婦の愛というものは本当に素敵ですね。最終的には可哀想な結果なのかも知れませんが、

病気になったからこそ、お互いの絆の太さが解るんですよ。末期癌の患者さんの言葉は非常に重みがありますし、周囲の人を、自然と元気にしてくれるんですよね。
 
 そんな素敵な二人に出会えたこと、本当に感謝ですね。
 
 
 
 
 


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