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患者さんとの思い出話
ほんとに勝手なこと書いてます。 
ここに出てくる患者さんの年齢、性別、経過などは
プライバシー保護のため多少変更しております。

  「神様がくれた病気、認知症」
 
 
 皆さんはアルツハイマー病という病気をご存知ですか?脳の神経細胞の脱落や脱髄などから脳が萎縮する、未だに原因不明の神経の病気です。

一般的な物忘れ(記銘力障害)や場所や時間が解らなくなる(失見当識)、買い物や銀行に行けない(高次機能障害)などの症状を中核症状と呼んでおり、その他に、周辺症状と呼ばれる幻覚、妄想、人格変化など厄介な症状もきたすことがある病気です。
 
進行性の病気であり、未治療だと、発症してから、
大体8年くらいで寝たきりに近い状態になり、
余命は12年くらいと言われております。

最終的には食べない、しゃべらない、動かない状態(失外套症候群といいます)になり、死に至ります。通常は65才以降に発症し、老人性の認知症の原因疾患(アルツハイマー型認知症)になることが多いのですが、稀に65歳未満、若年で発症することもあるんです。
 



 その患者さんは50歳代の男性で、会社の重役だったのですが、1年前から、いきなり会議に欠席したり、部下に頼んだ仕事も忘れてしまうという症状を認めていました。

 忘れっぽいと本人も自覚し、何とかメモを取り、スケジュールを立てながら仕事を頑張っていたのですが、半年くらいで、メモを取ることも忘れるようになり、このままでは会社に迷惑をかけると、散々悩んだ挙句に、
いきなり辞表を提出したんですね。


 
 そのことに、びっくりした家族と上司に連れられて、私の勤務先の病院を受診したんです。うつ病ではないのかと家族や上司に指摘されたのですが、うつ病としての所見は無く、認知症の検査(長谷川式認知機能検査)をした時に愕然としたんです。
 
 何と、この若さで認知障害を認めたんですね。
(ちなみに14/30点でした)

検査中に奥さんの顔が、みるみる真っ青に
なったのを覚えています。

今まで家族は気がつかなかったんでしょうね。

 
 すぐに頭部MRIの検査をし、脳梗塞や脳腫瘍などの所見が無いことを確認し、アルツハイマー病と診断、家族と本人にも告知し、今後も症状が進行して、完全に元の状態に戻る可能性は無いことを説明しました。
 
 当然会社に復帰することも不可能なのですが、元々会社にいた頃は非常に真面目で人望も厚い人格者だったということで、上司の提案で、認知症ではなく、うつ病の診断書を書いて、病気休暇にして欲しいと言われたんです。

そうすれば、休暇中の給料も支給されるし、退職金も出せるとの事。まだ、お子さんも大学生でしたので、願ってもない提案でした。

 
 それから、本人と家族の、先の長い
 アルツハイマー病との戦いが始まりました。
 
 当時日本にはアルツハイマー病の薬は一種類(アリセプト)しかありませんでした。それも治す薬ではなく、進行を遅らせる薬です。

大事なのは、今残っている機能を失わないようにすること、つまりリハビリなんです。
計算ドリルや反射神経のゲーム、手先の運動、塗り絵など、奥さんが調べて良かれと思うことは、全て試しました。


 
 アルツハイマー病の場合、
 初期には自覚症状があります。

暗記できない、計算ができない、物や人の名前が出てこないなど、今まで普通に出来たことが出来なくなる恐怖は計り知れません。それを見ている家族にも落胆と、先々の生活の不安が付きまとうんですよ。彼の奥さんも、必死だったのだと思います。

 
 奥さんの献身的なリハビリのおかげで、その後1年間は何事も無く、認知症の進行も止まったんですね。診察の度に彼が塗った塗り絵や、作った工作を見せられて、奥さんの熱意と彼に対する愛情を感じましたよ。
 

しかし、発症して3年くらいしてから周辺症状、
被害妄想と徘徊を認めるようになりました。

特に奥さんに対する嫉妬妄想がひどく、
時に暴力行為に発展することもありました。
何度も警察に保護され、ひばり放送で
名前が上がったか解りません。
 

 診療当初から家族には、デイサービスやショートステイの利用を勧めていたのですが、奥さんはそれを拒否。理由としては本人はまだ60歳前・・・間違っても老人と呼べる年齢ではないので、施設で周囲の方と比べると、どうしても目立ってしまうんです。老人の中に入れるのは可哀相だと・・・
 
 妄想や暴力に耐えながら、それは病気のせいだと自分に言い聞かせ、リハビリを続けている奥さんは本当に気丈というか、健気というか・・見ているこっちも辛かったです。きっと、良い旦那さんだったんでしょうね



 精神安定剤を調節して、荒れていた時期は2年くらいで収まりました。しかしながら、認知障害は悪化し、認知機能検査も施行不能な程に進行、着替え、入浴、トイレも介助が必要な状態になっていきました。もう、自分のことも時間の流れも解らないのだと思います。
 

 さすがに家族だけでは介護出来なくなり、介護サービスを利用、今(発症7年後)では毎日のようにデイサービスに通い、月に一度はショートスティを利用しています。もう僕の顔も解らないみたいで、いつも困惑した表情で診察室に入ってきます。
 

 「仕事(デイサービス)の調子はどうですか?」と聞くと決まって奥さんの顔を一瞬見てから、「まあまあです」と万遍の笑顔で答えてくれるんですよ。その笑顔を見ると、何故か心が落ち着くんですよね。彼が診察に来るのが楽しみです。
 
 今後も病状は進行し、
いずれ家族の顔も解らなくなります。
その時の奥さんのショックを考えると、切なくなりますが、とにかく、歩けるうちは出来るだけ彼の笑顔が見たいですね。
 

 昔看護師だった家内に聞いたんですが、認知症は神様がくれた病気なんだそうです。人は皆、年齢を重ねると老化という現象が起こります。知力も体力も筋力も低下し、外見的にも皺が増え、腰が曲がってきたりするんですよね。
 

 皆さんも経験あると思いますが、そういう老いていく自分の体と、向き合うのは非常にストレスがかかるんです。無理矢理年のせいと納得するしかないんですけどね。そういう葛藤や自分の姿と向き合えなくなる病気、それが認知症なんだそうです。
 

 不思議なことに、認知症の末期になると、感情失禁という感情表現が豊かになる症状や、多幸症という、いつも幸せを感じる症状も出てくるんです。往診やデイサービスなどで過ごしている、認知症の方々を見ると本当に楽しそうですよ。その笑顔には他人を癒す力があるんです。まさに天使の笑顔ですよね。
 




 昔私が内科の研修をしていた頃は、「痴呆症」や「ボケ」という言葉がありました。話しが通じない外来患者さんに「どうせボケてるから」と親身にならない先生も多かったです。今では「認知症」という言葉が出来、「明日の記憶」、「半落ち」、「私の頭の中の消しゴム」などの映画の影響もあり、随分と病気としての認識が強くなりました。
 
私個人としては、治らない病気だからこそ、
その人に何が出来るのかが、勝負なんです。
医者の真価が問われるところだと思っています。
 
 皆さんも周りの認知症の患者さんの笑顔を、よく見てみて下さい。きっと癒されますよ。何てったって「天使の笑顔」ですからね!
 



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